親鸞

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親鸞 (1173 - 1263)[編集]

日本の仏教者。法然の弟子であり、浄土真宗の開祖に擬せられる。

教行信証[編集]

『教行信証』は、経典や文献からの引用が大半を占めるが、親鸞自身の記述も随所に見られる。原文は漢文。

  • 爾れ者(しかれば)、已に僧に非ず俗に非ず——化身土文類六末・後序

歎異抄[編集]

『歎異抄』は親鸞の弟子によるものであるが、ところどころに親鸞の発言が引用されている。

  • 弥陀の誓願不思議にたすけまゐらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり——一段
  • 念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり——二段
  • 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや——三段
    註: これは法然の語であるが親鸞の語として広く知られているため引用をした。
  • 親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念佛まうしたることいまださうらはず——五段
  • 専修念佛のともがらの「わが弟子・ひとの弟子」といふ相論のさうらふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさうらふ——六段
  • 念佛は行者のために非行非善なり——八段
  • 踊躍(ゆやく)歓喜(かんぎ)のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたくさうらはんには、煩惱(ぼんのう)のなきやらんと、あやしくさうらひなまし——九段
  • わがこころのよくてころさぬにはあらず、また害せじとおもふとも百人千人をころすこともあるべし——十三段
  • 彌陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、されば若干(そくばく)の業をもちたる身にてありけるを、たすけんと思召したちたる本願のかたじけなさよ——後序
  • 煩惱(ぼんのう)具足の凡夫(ぼんぶ)・火宅(かたく)無常(むじょう)の世界は、萬(よろづ)のこと皆もつて空事・たわごと・眞實(まこと)あること無きに、たゞ念佛のみぞまことにておはします——後序

正像末和讃[編集]

「愚禿悲歎述懐」よりの引用。


  • 悪性(あくしょう)さらにやめがたし
こゝろは蛇蝎(だかつ)のごとくなり
修善(しゅぜん)も雑毒(ぞうどく)なるゆへに
虚仮(こけ)の行(ぎょう)とぞなづけたる
無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて
まことのこゝろはなけれども
彌陀(みだ)の廻向(えこう)の御名(みな)なれば
功徳(くどく)は十方にみちたまふ
小慈(しょうじ)小悲(しょうひ)もなき身にて
有情(うじょう)利益(りやく)はおもふまじ
如来(にょらい)の願船(がんせん)いまさずば
苦海(くかい)をいかでかわたるべき

帰されるもの[編集]

『親鸞上人繪傳』、『親鸞聖人像』にある救世観音の夢告

  • 行者宿報設女犯
    我成玉女身被犯
    一生之間能莊嚴
    臨終引導生極樂